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古墳を背にして佇む
​慈覚大師円仁開山の古刹

​​新型コロナウイルス対策について

新型コロナウイルスの影響を鑑みまして、観音寺では入り口での消毒の徹底と法要中窓開放、座り位置の距離(ソーシャルディスタンス)をとっていただく、読経はマスク着用で行っていただいております。住職もマスク着用でお勤めすることがあります。
 また、お参りの皆様にはマスク着用の徹底をお願いしております。

不安な日々が続きますが仏様、ご先祖様への感謝を忘れず皆一丸となってこの国難を乗り越えましょう。       

 

  •  風邪、発熱、倦怠感他の諸症状のある方は参列を極力お控えください。

 

  •  咳エチケットの徹底(マスク着用)をお願いします。

 

  •  同席者との距離を置き、会話を控える等なるべく密接状態を避けてください。

​​観音寺について
History of Kannonji

 比叡山延暦寺を本山とする当寺は、千百年の歴史をもち、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の御作、聖観世音菩薩を御本尊として安置しているところから、弘誓山 観音寺という。
 平安時代の天安年間(857~859)、比叡山第三祖慈覚大師(じかくだいし)によって、間山に(高福寺の一院としての説がある)創建された。

 

 

 

 

 

 

 

その後(年代不詳、間山では火災説がある)、田井観音免(地名)に移転したが、天文十三年(1544)大洪水に遭い、御本尊以外の宝物・古文書等を流失し、建物は廃頽した。このため草創以来七百有余年の盛衰については詳らかではないが、田園化した田井寺跡は現在「観音面」の地名で残っている。
 また、寺盛の面影を偲ぶ次の御詠歌が、今に伝えられている。

 

 『経塚のしるしの松の夕嵐絶えぬ御法の声かとぞ聞く』

 

 本寺が美作観音霊場三十三ヶ所第五番となっていることは、かかる寺歴からもうかがわれる。
 現在の地(植月東)には、慶長五年(1600)、先師実観の遺志を継いだ僧円慶によって移転築造された。以来円慶を中興開山の第一世として、住職三十世、四百年近くに及んでいる。
 作州の名僧として誉れ高い泰禅は、本寺第十一世住職であり、隠居後は、長尾山金光坊をはじめ、多くの寺蹟を遺している。本寺には泰禅が備えた大般若経六百巻や、泰禅木像・爪髪塔がある。
 また、本寺で植月小学校が明治八年に開校され、同十四年まで仮校舎となっていた。その頃、後に世界的労働運動指導者として活躍した片山潜も教鞭をとっていた。

片山潜
1859〜1933
​片山 潜
慈覚大師

​慈覚大師 円仁

794〜864

行基
​行基菩薩
668〜749
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